各種メディアの報道を見ていて、不本意な死に方をした人の人格がずいぶん粗末に消費されているなあという感想を抱きます。事件・事故・災害の本質と 全然関係なさそうな卒業アルバムだとか生前の映像だとか交友関係だとか、これは一部の人の好奇心を満たす以上の意味あるんですか?と突っ込みたくなるよう な情報が全国ネットでばら撒かれるのを目にすると、自分があれをやられたら最悪だなあと思います。生前に覗かれたら絶対に「ちょっとそれは見ないでく れ!」と嘆願したくなるようなものが晒される、死人に口なし状態。
注意深く生きていても将来どんな目にあうか予測不能なこともあるでしょう。ここは少しでも対策しておきたいなぁと思っていました。で、実際書いてみ ました。真面目くさった文書でもないのですが、万が一壮絶な死に方をしてマスコミに取り上げられた場合に「犠牲者のホームページ」を見たくてアクセスして きた人に読んでもらうサイト案内みたいなものです。トップページのすみっこからさりげなくリンク。
「ようこそ ~私が非業の死を遂げ、その人となりが報道されたときに備えた文書~」
変な風にネタにされているとしたらそれは情報の価値としてどうなのよ? という話、人に知られることを前提で自分が作成したものは今まさにここにあるから、見ていけば犠牲者の人となりはある程度分かるよ、という話です。生きて いるうちに読まれればマスコミへの皮肉、もし本当に自分が死んで変な風に報道されたとしたら野次馬閲覧者への切実で現実的な主張と反撃、として機能すると いう仕組みです。
私は冥土は存在しないだろうという理由から他人の冥福も祈らないし、霊など存在しないと思うから慰霊もしない人間ですが、だからといって人として枯 れているというわけでもありません。歴史の一瞬に事実として存在し、強かろうと弱かろうと未来の世界への影響を残しつづける人格というものを徒に貶めるこ とは、すなわちその人格の残したものを受け継ぐ未来の世界への冒涜であると考えています。
[珈] ここが「犠牲者のホームページ」になったときのために (via petapeta) | Permalink